中東旅行・息子と2人旅(中東4カ国+パレスチナ自治領)
2008年12月〜2009年1月

ドバイ、エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ西岸地区
とりあえず写真を少しだけUP!(ドバイはつまらないので写真省略します(笑)

今回はかなりハードな旅行が予想できたため、小学5年生の長男と2人だけで行って来ました(小さい子たちはお母さんとお留守番)。

旅行はドバイ(つまらないところでした)から始まり、その後エジプトのカイロへ飛び ⇒バスでシナイ半島 ⇒ 紅海のダハブ
⇒フェリーでヨルダンのアカバ港(『アラビアのロレンス』で有名なところ) ⇒ヨルダンを北上してワディ・ラム
⇒ペトラ遺跡 ⇒首都アンマン ⇒キングフセイン橋(アレンビー橋)から国境を越えてイスラエルのエルサレムへ
⇒死海周辺、エリコなどパレスチナ自治領のヨルダン川西岸地区 ⇒イスラエル国内を南下・ネゲブ砂漠を通ってエイラト
⇒国境を越えエジプトへ ⇒シナイ半島を突っ切ってスエズ運河を渡りカイロへ… そして帰国 という3週間弱の旅行。

今回イスラエルへの陸路入国時、日本でも導入したフィンガープリント採取&顔写真 を取られました(子どもは無し)。




ドバイ経由でエジプトのカイロへ。 3回目・15年ぶりの訪問です。 (ちなみに、経由したドバイのリポートはこちら)

EGYPT

カイロ到着後、まずは昔も泊まった安宿密集地帯へ(スーク・タウフィケイアという野菜市場の近く)。

右写真はサファリ・ホテル、スルタン・ホテルなどが入っている古いビル。久しぶりに来ましたが…
やはり汚い(笑)。

15年前は1泊200円くらいだったけど、今回は300円に値上げされてました(ドミトリー)。以前は泊まる前に「南京虫がいるベッドも有るよ」と宣言されたものですが、今回は言われなかった。
でも汚いし、息子のアトピーが悪化するとまずいので翌日に もう少しきれいなところ(1500円くらい)へ移動しました。




カイロ旧市街へ  OLD CAIRO, EGYPT.




やはり小学生。 行きたいところはピラミッド
ということで…。


以前はピラミッド頂上まで登りましたが
(ダメ!絶対!)、
今はとてもじゃないけど無理です。



砂嵐のピラミッド





カイロからシナイ半島のダハブへ移動。 今回は旅程が長いため、シナイ山には登りませんでした。

シナイ半島を渡り、エジプトのヌエバからヨルダン行きのフェリーに乗り込む。 船内でも出国手続。





フェリーでヨルダンへ。
JORDAN 紅海を渡り、ヨルダン・アカバ港に到着。 映画『アラビアのロレンス』で有名なところですね。

美味しいアラブ・フードの夕食。
上から時計周りに、チキンの炭焼き、ピタ・パン、羊肉のキョフテ・ケバブ、アラブ・サラダ、
フムス(ひよこ豆のペースト。僕の大好物!)、ピクルス…。





アカバから北上し、ワディ・ラムへ移動。
ワディ・ラムのベドウィン・キャンプへ  WADI RUM, JORDAN.




ここからはラクダです。




ワディ・ラム付近で見た列車。

砂を運んでいるそう。

良質の砂が取れるので、砂を
海外へ輸出しているそうです。




世界遺産・ペトラへの基地となる、ワディ・ムーサへ移動。


ヨルダンのペトラ遺跡 エル・ハズネ(宝物殿跡) 世界遺産。16年ぶり・2回目の訪問です。
実は息子をここに連れて来たくて、今回の旅を企画しました。
以前は素朴な遺跡でしたが、今回行ったらビジターセンターなんかも出来ていてびっくり。




ペトラ遺跡の奥のほうへ。 急な崖の山道を登って行きます。




山上に山羊の群れが…




長時間崖道を登り歩き、ペトラ遺跡の一番奥にある修道院跡に到着。




 長時間、ロバにも乗らずに息子もよく歩いてくれました。 だいぶ体力がついたな と実感。




ワディ・ムーサから乗り合いバスで首都アンマンへ移動。
アンマンでは、昔もお世話になったサーメルさんのいる宿へ(以前はクリフ・ホテルでしたがその後移っていました)。





ヨルダンの首都アンマンからアレンビー橋(キング・フセイン橋)へ。
国境を超えイスラエルへ入国。 15年ぶり・3回目の訪問。
イスラエル入国時、日本でも最近導入した外国人へのフィンガープリント(指紋)採取と顔写真撮影を経験しました(大人のみ)。

ISRAEL

まずはエルサレム旧市街・ダマスカス門近くの
安宿・ファイサル・ホステル(Faisal Hostel)へ。

実はこの宿で、この旅行からちょうど15年前
(1993年12月)に妻と初めて出会いました。
お互い、バックパッカーの一人旅でした。

エルサレムは、夫婦の出会いの地 なのです。
(初めてのデートはパレスチナ難民キャンプでした(汗;)


エルサレムのオリーブ山  Mt. Olives, Jerusalem.




新年(2009年元旦)はエルサレムで迎えました。


オリーブ山から見た、エルサレム旧市街。

金色のドームは、ムハンマドが昇天した
とされる岩のドーム。イスラムの聖地です。


旧市街・岩のドーム(イスラム教の聖地)  その前面の壁は、ユダヤ教の聖地・嘆きの壁。




死海のほとり。世界遺産・マサダの砦跡へ。
砦の頂上でおみやげに買った角笛を吹く息子。


マサダは古代イスラエルのローマ軍への抵抗の砦で、最後はここに立て籠もったユダヤ人が集団自決し終わりました。

今でもユダヤ人団結のシンボルになっていて、イスラエル軍の入隊宣誓式もここで行われています。





パレスチナ西岸地区のジェリコ(エリコ)へ。

PALESTINE

ここは現存する世界最古の都市 ともいわれています。
旧約聖書にも度々登場。 
写真はヒッシャム宮殿跡。

ちなみに、パレスチナも西岸地区内であれば、場所を選びさえすればそう危険ではありません(ヘブロンなどは常態的にお勧め出来ません)。

昔(1993年)はガザ地区へも行きましたが、今はさすがに…(^^;。
⇒ガザ地区の昔の写真



エルサレム旧市街の城壁を染める夕陽。



 エルサレムを離れる日が近づいて来ました…。人生で3度訪れたこの街ですが、さすがにもう来ることは無いでしょう(多分)。

上写真右のほうの電柱にエルサレム市の紋章(獅子)が入っています。獅子は元々イスラエルのユダ部族の紋章で、
エルサレムではいろんなところでこの獅子の紋章が見られます(実はこれとそっくりなので、車もプジョーに乗ってます(^^;)。




再びエジプトへ向けて移動。

途中、死海近くで見掛けた
製塩工場。


途中のイスラエル南部(ネゲブ)で見た、ナツメヤシ林(Dates Forest)。整然としています。



干したナツメヤシ(デーツ)も大好物です。




陸路 国境を超え、イスラエルから再びエジプトへ入国。イミグレーションものんびりした感じでした…(^^;。

バスでシナイ半島を突っ切り再びカイロへ。 深夜着のため、途中 電話でカイロの宿を予約しました。

EGYPT


翌朝。
ホテルの窓からの風景。

何故かパラボラ・アンテナ?
がいっぱいです。



カイロは喧騒としてるのに
何故か落ち着きます…。




カイロからドバイ経由で帰国しました。 



帰国後 

帰国後すぐ。
この日は次男の誕生日です⇒


おみやげの子ども用アラブ服を着てご満悦。

バースデーケーキは子どもたちの手づくり&
ロウソクはエルサレム聖墳墓教会の蝋燭でした。


おしまい。

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