K O R E A 厳 寒 韓 国 ふ た り 旅 TOPPAGEへ
 DEC, 1991 - JAN, 1992 ( by M )
(11日間 )
ボーナス後でも 貧乏旅行!
会社の先輩と行った、年末年始・真冬の韓国。 参鶏湯 の味はこのときにおぼえた。
It was terribly cold. But we were saved by "Samgyetang".

成田発の飛行機で、まずは ソウル Seoul
1991年12月 ソウルは 身を切るような寒さだった。

ライトアップされる 南大門(崇礼門)
Namdaemun


安宿は、大元旅館 DEWON INN へ。(鐘路区唐珠洞) ソウル中心部にあり、交通便利。
部屋はほとんど ドミトリー。 日本円で 300円ぐらいだったと思う。 シャワー共同。


欧米人バックパッカーや、ガーナから出稼ぎで来ている人などの溜まり場になっていた。
今はどうなってるのか知らない。(最近 泊まったことのある方、メールください)

で、この11年後に、また泊まってみました ⇒ 『韓国・研修&ひとり旅2002』編へ

写真でもわかるが、瓦の重みのせいか
天井が落ちて来そうなため、2段ベッドは下段の方が
人気があり、ほとんど上段しか空いていなかった。

当時は 日本のサラリーマン! だったため、安全な
下段ベッドは先輩に取られ、僕は上段ベッドに眠った
ので ちょっと怖かった…。

 (ウソ…。 一緒に行ったのは いい先輩でした)

梨 泰 院 It'aewon イテウォン (ソウル市竜山区)
 イテウォンは、上野のアメ横のような雰囲気のところだった。長い間 アメリカ軍の施設があったため、米軍の関係者らしき人たちが町なかに多い(その点では横須賀にも似ている)。 他の国の人たちも多く見かけたが あれはどういう人たちだったんだろう…。 それにしても、革製品屋の呼び込みのお兄ちゃんはしつこかった。 見れば カネ 持ってないのわかるだろうに…。


ソウルの高速バス・ターミナルから長距離バスに乗り込み、4時間半。 新羅時代の古都、 慶州 Kyongju へ。
天馬塚をはじめとする 多くの古墳や史跡が残っている。 日本の京都・奈良のようなところだ。



天馬塚へつづく道


仏国寺(佛國寺)


宿は ハンジン(韓進)荘旅館 
HANJIN HOSTEL 慶州市路西洞 


  参 鶏 湯 Samgyetang
 ←烏骨鶏(オゴルゲ)の参鶏湯

 参鶏湯(お頭付き)レシピのページはこちら
 この年が特別だったのか、それとも韓国はこういうものなのか、メチャメチャ寒かった。
そんな中 僕たちは、慶州で 初めて 参鶏湯(サムゲタン) というものを食べた。 鶏の内臓を取り出し、もち米、棗(ナツメ)、ニンニク、高麗人参などを詰めて土鍋で煮込む スタミナ料理で、おかげで風邪をひかずに済んだ。
 今でこそ 名古屋でも2,000円くらいで美味しい参鶏湯が食べれるようになったが、当時は東京でもあまりなく、あってもメチャメチャ高価なもの(特に烏骨鶏・オゴルゲのものは)だった。
 以来、やみつきになり、その後 トランジットなどでソウルによる度に、景福宮近くの 土俗村(トソクチョン)という参鶏湯の専門店に行った。 おかげで飛行機に乗り遅れそうになったこともあるが…。
 将来、自家製参鶏湯をつくるべく、庭には棗(ナツメ)枸杞(クコ)の木などを植えている。 あとは烏骨鶏でも飼えば、もう完璧だ。  『“幻の”烏骨鶏 飼育計画 』のページへ


慶州から鉄道で 釜 山 Pusan



釜 山 駅 にて
Pusan station


この頃はPusan と表記されていたが、
最近ハングルのローマ字表記が変わり、
Busan になったそうだ。


竜 頭 山 公 園 の 釜 山 タ ワ ー

街歩きのとき目印になる。
その前にあるのは、名提督
李 舜臣(イ・スンシン)の像。

チ ャ ガ ル チ 市 場
 釜山港の近くにある 建物内の市場で、魚介類を売る店やそれを食べさせる店、周辺にも
屋台がひしめく。 海産物のほか、雑貨や服を売る店も沢山あった。


「さ、さむい!      
韓国ってこんなに寒かったの!?」

”南極越冬隊”のような防寒装備で寝る
A 先輩(鹿児島出身のためか、寒がり)。

民宿のオンドル部屋は暖かいと聞いていたが、
あまりの寒さのため 暖かいのは床から30センチ
だけだった。 そのため ふたりとも 民宿の
オンドル床にへばりつくようにして眠った。


  辛ラーメン と スンニュン
 僕が初めて辛ラーメン(韓国のインスタント・ラーメン)を食べたのは、学生時代の旅行中だった。東欧のユースホステルで 若い韓国人バックパッカーと知り合ったが、その彼が山のように辛ラーメンを持って旅していたのだ。僕は カロリーメイトかなんかと物々交換し(どっちが得したかはわからない)、ユースのキッチンで一緒につくって食べた。 彼は米まで持ち運んでおり(米はどこかの国で買ったらしいが)、ご飯も炊いて一緒に食べた。 食べ終わり、久しぶりの東洋ごはんに満足していると、彼はおもむろに、「韓国のお茶を ごちそうしよう!」と言いだした。

 まだ何か出てくるのかと期待して待っていると、彼はいきなり さっきご飯を炊いた鍋に水を入れ、沸かし始めた。僕はいやな予感がしつつも 黙って見ていた。やがて 熱湯に近くなると、鍋に張り付いていた おこげをそぎ落とし始め、おこげで茶色っぽくなったお湯をコップに入れ、僕に手渡した。 びっくりしたが、飲んでみるとなかなか香ばしく、つくってるところを見なければ もっと美味しく飲めたかも知れない と思った。

 後でわかったことだが、これは スンニュン という 韓国でよく飲まれる飲みものだった。



釜山から 高速バスで再び ソ ウ ル Seoul

景福宮 光化門前にて

門の後方に建つ建物は、旧日本総督府
庁舎。韓国の人たちにとっては忌々しい
ものだったが、1995年に取り壊しが決まり、
今はもう無い。


香遠亭

景福宮内、池の中の小島に建つ。
ソウルの中心部とは思えない静けさだ。


  あ こ が れ の 韓 朝 食


(この写真は、 日韓市民ネットワークなごや さんに提供して頂きました)

 僕は前から、 韓朝食 とでもいうのか 韓国の伝統的な朝食を一度は食べてみたいと思っていた。 写真のような、おかずが ずら〜っと十数種類も出てくる 料理膳だ。韓国では、別に朝だけ食べるというわけではなく 昼も 夜も 関係ないそうだが、僕は何故か 朝 食べるべきもの というイメージを持っていたのだ。
 しかし、旅館をはじめ、食べさせてくれそうなところはどこにも無く、やっと見つけたお店も メニューを見てえらい高かったのでやめた。 「たかが “朝めし”に この値段はないだろう…」 という金額だったのだ。
 結局、純韓国風朝食は 旅行中食べれず、それどころか移動中の朝食など 駅の うどん と キンパプ(海苔巻)の連続だった。それでも 先輩は、「九州のうどんに近い」など と喜んでいたが…。



板 門 店
 大韓旅行社 KTB の日帰りツアーに申し込んだ。 “どうしても行きたかった” という A 先輩に、ちゃんとしたズボンを持って来るよう、出発前から何度も言われてたので、この日はバッグの下の方からズボンを引っ張り出し、いつものジーンズはしまって出発地のホテルへ向かった(板門店に行くときは、ジーンズやスニーカーは禁止なのです)。
 “何があっても責任は問いません”などと書かれた宣言書にサインをさせられ、バスに乗り込んだ。ソウル市内を出て どのくらい行っただろうか。戦車や軍用トラックが 道路脇に目立つようになり、やがて板門店に着いた。
板 門 店 にて

北朝鮮側の板門閣が見える。
双方の軍人が 静かにゆっくりと
巡回していて、緊張した雰囲気だ。
北緯38度線のかなたが見える。

今日もこの視界の中のどこかで、
北朝鮮側の兵士が地下トンネルを
掘ってるかもしれない と思うと、
戦争はすごいなぁ… と思った。


新 年(1992年)は ソウルで迎えた。

   謹 賀 新 年!

新正月は、思っていたよりは平常通りだった。
後年、韓国の人たちにとっては 旧正月の方が
お正月の本番らしい ということを知る(後述)。

ソウルの新しいエリアにも行きたい
ということで、地下鉄2号線(緑色の電車)
に乗り 駅三(ヨクサム)駅で下車。
半島ユースホステルに泊まった。 江南区
この辺り 新興の地域で、マンションの建設
ラッシュもあったそうだ。

   世 宗 (セジョン) 大 王 の 像 
  朝鮮王朝 第4代国王(在位1418〜1450)
 
 詳しい友人によれば、訓民正音(ハングル文字)は
 宮殿の窓の格子の形にヒントを得て、この人が思い
 ついた という説もあるそうだ。 民衆が文字を理解
 することを怖れた 特権階級の反対を押し切って
 ことを進めた というから偉い人だ。
 
 ハングルはちょっとだけ書けるが、合理的でパズル
 のように組み合わせられるし、(ある程度までは)
 習得しやすい文字だそうだ。
 日本のひらがな・カタカナよりも 表音出来る幅は
 はるかに広い。

1992年1月 ソウルから帰国した。



その後も トランジット等で7〜8回は寄った、ソウル。
(要するに我が家は、アシアナ と 大韓航空 の常連さん ということなんですが…)

 1995年 秋 キムチづくり を見学

 帰国後 我が家では、韓国食材屋さんで
 キムチの材料(韓国産唐辛子や塩辛
 なども)を買い込み、キムチづくりに
 初挑戦。    が、見事に失敗…。 
 恐ろしいものが出来上がってしまった…。
 やはり 数百年の食文化は、簡単には
 盗めない。
 
 後年、我が家では屈辱をはらすべく、
 キムチづくり教室に参加した。
1998年1月末
いつものように トランジットで寄った
ソウルだったが、今回は大失敗。

旧正月に当ってしまったため、コンビニと
ファースト・フード以外は み〜んな 休み!
新正月はそれほどでもなかったのに…。

皆さんも、地方の伝統行事でも見に行くなら
ともかく、そうでなければ 旧正月は避けて
行ってください。


                


韓 国 関 連 リ ン ク 集