この写真はリトルワールドで(2003年7月) 韓国・済州島(チェジュド)子連れ旅
旅行の時期:2003年10月後半の1週間 行き先:韓国済州島(済州道)
今回の旅人:夫、妻、長男(6歳)、長女(3歳)、次男(生後9ヵ月)の計5人

☆子連れ旅行の参考になりそうなことは、青い太字にしています。ご参考になれば、幸いです。
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All About Japan 子連れ旅行  ←その道のプロがサイトを厳選して掲載する、ご存知All About Japan
 『子連れ旅行編』にてご紹介頂きました!

 2005年8月、NHK教育テレビ⇒

「趣味悠々 中高年のためのパソコン出直し塾」(第10回 インターネットでの上手な検索方法は?)の中で、うちの 済州島(チェジュド)旅行記 が紹介されました〜!

(NHKが こんなの取り上げるとは…(^^;)
済州島レンタカー事情  済州島民俗村と『う○こぶた』  イカ釣り漁船で釣り体験  三多の島  火山島
LOTTE HOTEL  カジノ体験記  耽羅(タムラ)国の神話と文化  済州島・食い倒れ編(工事中)
 今回の旅のポイントは、3人の子連れのためとにかく“車で移動出来る”こと。初めはオーストラリアやペナン島辺りを考えていたが、前から行きたいと思っていて、@飛行時間が短い・A時差が無い・B衛生的・Cチケットが安い&Dレンタカーで動ける…と、何かと子連れに便利な 韓国・済州島に決めました。(韓国系旅行会社で無理を言い、5人で11万7000円と格安チケットを購入。註:済州島は2、3泊と短いのなら、ツアーの方が安いです)。
 持参ガイドブック:済州島だけのガイドブックは無いので、図書館で借りた本から済州島の部分だけコピー。他に、ガイドブックではないが、司馬遼太郎の『街道をゆく28 耽羅紀行』なども持参。 
←毎度の荷造り
5人分の服は圧縮袋で。圧縮袋は100円ショップでも
買うことが出来ます。紙オムツは次男(生後9ヵ月)のもので、
1日4〜5枚で計算。
他にビデオカメラ、折りたたみ式ベビーカー、小児科でもらった薬 など。韓国でも使える携帯電話(au のグローバル・パスポート)も持参。

韓国なら飛行時間が短いので、ご機嫌取り用おもちゃは
少なくて済む(おもちゃは飛行機の中でももらえます)。
離着陸時の気圧変化で耳が痛くなるのを防ぐため、子ども用グミも持参。

(1日目 出発日)
 名古屋空港発の大韓航空(平日)は、1時間40分で済州国際空港に到着(夜8時)。次男は体重10kg未満のため、バシネットBassinetをお願いした。同じ飛行機に、『済州島ゴルフツアー御一行様』が乗っていた。済州島は、ゴルフをやりに行くところらしい。夜到着のため、1泊目の宿だけはインターネットで予約しておいた。(旅行の掲示板で教えてもらった WORLD INN 韓国政府指定の宿泊システムはとても便利です。是非ご利用ください) 初日の宿は、済州市新済州エリアの国際ホテル(Gukje Hotel)。(オンドル部屋。W40,000+インターネット予約代W4,000)。
 韓国の場合、両替はとてもわかりやすい。W1,000(ウォン)=\100。ゼロをひとつ除けば日本円の額になる。\100=W1,300ぐらいのいいときもあったが、当分は1対10と考えておいた方がいい。

(2日目)
 朝、濟州道翰林邑に住む、宋(SONG)さんがホテルまで迎えに来てくれた。彼とは、この11年前の1992年5月、インド旅行中にアグラー(タージマハールのあるところ)で知り合い、しばらく一緒に旅をしていた。住所交換もしていたので今回連絡してみた。当時は2人とも若く、バックパッカーで放浪していたが、今や2人とも妻帯者になり、真面目に働いている(汗;)。
 宋さんの運転で、済州市から海岸線沿いを西方へドライブ。この日は天気のせいか風も強く、けっこう海は荒れていた。やがて、翰林邑の翰林公園(ハリム コンウォン Hallim Park)に到着。個人が所有・管理している庭園で、司馬遼太郎の訪問記念碑などもある。その後、島の西南側・山房山、中文(チュンムン Jungmun)地区へ移動し、映画『シュリ』にも出て来た景勝地や、中文大浦海岸柱状節理帯などを見学。
海女(ヘーニョ)
中文大浦海岸柱状節理帯付近で、
海女さんが海から鮑、サザエ他の
海産物を担いで上がってくるのを見れた。

済州島には太古から多くの海女さんがいる。
韓国(本土)の人は、よく済州島で
キッチン付きコンドミニアムを借りたり
するそうだ。そこでうちも、一日だけ
中文地区近くのコンドを借りてみた。
(W60,000。連泊すれば、交渉出来ます)

宋さん(左端)とスーパーマーケットで
買出しをし、コンドのキッチンで夕食を
つくって一緒に食べた⇒
ここで、翌日仕事のある宋さんとは再会を約し、お別れをした。



(3日目) 朝、レンタカーでコンドミニアムを出発。レンタカーは4日分(4日目の午後に返す)でW180,000。
現代(ヒョンデ)自動車のSONATA

←うちが借りたレンタカー

車だと、子どもが寝ている間、疲れているときでも
関係無く移動出来るし、暑さ・寒さからも守れます。
『国際運転免許証』を忘れずに。
この旅行では2回車を借りましたが、欧米のように
クレジットカードは求められませんでした。


左ハンドル・右側通行での運転は久しぶりだ。
アメリカ・車社会事情のページへ
 ソウルや釜山と違い、済州島は道が広くわかりやすいためレンタカーで動くのはお勧め。但し標識など、ハングルだけのも多い。僕は少し読めるのでなんとかなったが、ハングルを全く読めない人はつらいと思う。ガソリン(この車はLPG車だったが、ガソリン車もある)を満タンにして返すのは、日本と同じ。
 韓国は日本同様、コンビニも多く(ファミリーマートとLG25というチェーン店が多い)、ドライブしてても便利です。

ミカン畑持主のおじさんと記念撮影⇒

ドライブしてるとミカン畑が沢山目に付く。
済州島はミカンの島で、特に南部は
オレンジ・ベルトだそうだ。10月後半の
ため、黄色い実を沢山付けていた。

子どもたちがミカン畑に入って行き、
勝手にもぎ取り始めると、畑の持主らしい
おじさんが大声を出しながら近づいて来た。

(おみやげにミカンを頂きました。)
ヤ、ヤバイ…(−−;。 こういうときは、日本語しかわからない振りをして逃げ切ろう…
とか思ったが、おじさんは「まだ1ヵ月早いから酸っぱいぞ」と言っていただけなのだった。


 その後、天帝淵瀑布(子連れおすすめ度 ★★☆☆☆)を見学し、ワールドカップ・サッカー競技場(このときは『民族スポーツの祭典』で北朝鮮からも訪問団が来ていて警備も厳重。中には入れなかった。ちなみにこの祭典、北朝鮮の『美女軍団』が来なかったため、経済効果はイマイチだったらしい…)を過ぎてソギポ市(西帰浦市)へ到着。有名な真珠食堂という店で、名物のトゥッペギ(魚介類の味噌鍋)を食べた。⇒食い倒れ編(工事中)へ

正房瀑布(チョンバン ポクポ)
(子連れおすすめ度 ★★★☆☆)

滝が海に直接流れ込むという、
世界的にみても珍しい滝です。

 夕方になって来たので、正房瀑布のツーリスト・インフォメーション・センターのお姉さんに近くの手頃な宿泊施設を探してもらった(観光地には大体ある、付属のツーリスト・インフォメーションは個人旅行者にとっていろいろと便利です。活用しましょう)。ソギポ市の白湖モーテル(オンドル部屋:W45,000)に宿泊。(註)モーテルといっても日本のとは違います。駐車場付きのモーターホテルです。


(4日目)済州島の真南に位置するソギポ市を出発、東方へドライブ。やや内陸部にある城邑民俗村を目指した。
内陸部もまた、ミカン畑でいっぱいだった。

途中、道を尋ねたおまわりさんと記念撮影⇒
わかりやすいところまでパトカーで先導してくれた。

韓国の警察のマーク(パトカーのドアに
描かれています)は、何故かショッカーの
シンボルマークに似ている。
城邑民俗村
(子連れおすすめ度 ★★★☆☆)

古くから残る集落で、今も実際に
人が住んでいる村。入場料不要。
藁葺きの済州島独特の民家が残る。
干してある茶色い服は、カロッと呼ばれる
済州島の作業着。柿から取った染料で
染めている。
藁葺屋根の上にカボチャが成っている。

村では黒五味子(オミザ)の実を土中の
甕に入れて熟成させていた(写真下の方⇒)

五味子(オミザ)は普通赤く、韓国の
あちこちで採れ、お茶として古くから
飲まれている。しかし黒い五味子は、
ハルラ山麓でしか採れない済州の特産。
韓国民俗茶をよく飲むので、おみやげに黒五味子茶唐柚子茶サボテン茶
(共に済州島の特産物)などを買って来ました。 ⇒韓国民俗茶のページへ


 で、出たぁ〜(−−;  
これがうわさの う○こぶた
(←これは城邑民俗村内にあるもの)
韓国人が皆、『一番うまい豚肉』と
口をそろえて言う、済州島名物です。

民家の近くにあり、トイレと接した石囲いの
中で黒豚が飼われている。写真左奥の
石の小屋 みたいなのがトイレだ。
こうやって、人糞なども餌にしていたそうだ。
息子が実演しています⇒
これは他のお宅の、
よりオープンな
(^^; スタイルのもの。

でもこういうのは、けっこうアジア各地に多い。
たしか沖縄でも、昔はあったと聞いた。
妻も以前(10年くらい前)、インド南部
(ケララ州)でこういうトイレを見たそうだ。

『う○こぶた』の仕組みを勉強した後、「じゃぁ、食べてみよう」ということになった。子どもたちは嫌がるかと
思ったが、喜んで 「行こう!行こう!」 ということになった。 先入観が無い ってすごいですね(^^;。

東南方面(済州民俗村方面)へ移動し、近くの黒豚料理専門店テジカルビを食べた。⇒食い倒れ編(工事中)



済州民俗村博物館へ
(子連れおすすめ度 ★★★★★)

野外博物館という感じ。済州島の文化が
様々な形でわかるようになっています。
韓国相撲(シルム)の土俵や昔のブランコ、
遊具なんかもあって、子連れにはお勧めです。

←これは昔のはりつけ棒叩きの刑を再現したもの
いわばお白洲で、後方建物の中には
遠山の金さんのようにお役人が座っています。
註:韓国では観光地の入場料が、子どもは『7歳以上』からかかる場合が多いです。日本と韓国では
年齢の数え方が弱冠異なります(日本の方がひとつふたつ若くなる)。はっきりと主張しましょう。




済州民俗村博物館を出て、12号線を東へドライブ。途中から海岸道路に入った。
←海岸道路沿いでイカが干されているのを発見
立ち寄ってみた。

近くで干しイカ、鮑、さざえなどの海産物を
食べさせる屋台があり、食べてみた。
店を切り盛りしてた人は海女さんで、日本にも
出稼ぎ…?(−−;で行っていたことがあるという。
海女のような専門職業集団がいたのは、日本と
韓国の沿岸・島嶼部だけではなかったか…。

 その後 島東部の目玉、城山日出峰のある城山邑に到着。付近には民泊(ミンバク・民宿)が沢山あり、シーズンオフなので宿探しには困らない。日出峰の見晴らしが良く、広いオンドル部屋に決めた(W60,000)。
 ここに限らず、今回の旅はシーズンオフだったせいもあり、宿探しにはそれほど苦労しなかった。済州島は日本でいえば伊豆大島で、海水浴シーズンには韓国本土からドッと人が流れ込み、宿も取りにくくなる。



(5日目) 朝、城山日出峰(ソンサン イルチュルボン)の中腹まで登ってみた。
城山日出峰をバックに記念撮影⇒
(子連れおすすめ度 ★★★★☆)

峰の中腹にある草原(写真奥左の方)では、
数頭の馬も放牧されていた。峰は巨大な岩塊で、
すり鉢状の頂上も3万坪の草原となっている。
頂上の周りには99本の尖った岩石が縁取っている。

イスラエル・死海ほとりのマサダ要塞跡に似ていた。
 済州島の馬は、昔、モンゴルに支配されていた頃の名残で、今も島に残っている。大陸にあるモンゴル馬はもはや大型種の馬との混血が進み昔の特徴を残していないが、済州馬は島だったため混血が進まず、今や750年前の小さい蒙古馬に一番近い といわれているそうだ。



昨夜、部屋から眺めていて 海上に光るものが
一列になっているのを見つけ、
「あれはイカ釣り漁船かな…」とか妻と話していた。

この日の朝、船着場へ行ってみるとやはり数隻の
いか釣り漁船が戻って来ていた。

電球の入ったランプがぶら下がっています。

釣りバカ体験記
 と、ここで妻と子どもたちが 「釣りをしたい」 とか言い出した。 「えっ…!?(−−;」 と思ったが、 僕もまんざらではなかったため、早速 港の漁師さんたちと交渉を始めた。 言葉が通じずに困っていたら、誰かが日本語の話せる年配の漁師さんを連れて来てくれて、話がいっきに進んだ。
 やがて、W50,000 (1時間程度で)ということで話がまとまり、漁船を出してもらうことになった(このときは面倒だったし、そもそも観光用の遊覧船とかでは無かったためこれ以上交渉しませんでしたが、もっと安くなると思います)。漁師のおじさんは船着場前の売店でコチュジャンとジュースを仕入れて来た。獲った魚は刺身にして、韓国風にコチュジャンで食べるのだ。うちの一番下の子(生後9ヵ月)は、漁師の奥さんが1時間預かってくれることになった。

 いざ出航! 漁船はエンジン音を立てて5分ほど海上を行き、城山日出峰の近くまで着いた。海上から見ると、また違った迫力がある。周囲の岩には海鳥が群れ、岩の上部は鳥の糞で白くなっていた。途中の海上の岩の上には、ばっちり防寒服を着込んだ釣り人たちが、岩にへばりつくようにして釣りをしていた。
 やがてポイントに到着したのか、船は停まり、糸を垂らしての釣りが始まった。15分くらいで、小さい(あまり美味しそうではない)魚数匹が釣れ、一応目的は果たしたのだった。

    (段々無口になって来た家族⇒)

 船が走っている間はよかったが、停まって釣りを始めたら、20分もしない内に船酔いになった。皆段々と無口になり、漁師のおじさんだけが一人せっせと仕掛けをつくっていた。

 漁師のおじさんに「もういいです(−o−;」と青い顔で言い、港へ戻ってもらった。 そこでおじさんが小さい魚を器用にさばいて刺身にしてくれ、コチュジャンで食べたのだった。

 いか釣り漁船での釣り(子連れおすすめ度 ★☆☆☆☆)
 

その後、車で島の東北沿岸を北に向かってドライブし、途中から内陸部へ入る。


風 と 石 と 働く女(海女さんのこと) が多い、『三多島』 と言われていた、済州島
←島中ドライブしたが、どこにでもこういった、
石を積み上げた風景が見られる。
本当に石が多かったんだなぁ…。
石垣はきっちり積まれている訳ではなく、隙間も多い。
風を逃がして石組みが崩れないようにしていたのか…。

畑の風除けと境界線の役目があるようで、畑は
キャベツ他の葉菜、ニンジン、大豆などが多かった
(もちろんミカン畑も)。
 他にも済州島では、石を積み上げてつくられた石塔やトルハルバン(石のおじいさんの意味)と言われる守護神・道祖神的なものをよく目にする。石はいくらでもあったし、「島の歴史は石との格闘の歴史だった」といわれるのもうなづける。石を掘り起こし、薄い地表の土で農作物を育てて来たのだ。
 土地が痩せていたためか、済州島からは多くの人たちが島外へ出稼ぎ・移民に行っていた。島民数と同じくらいの島外住民(おそらく島外生まれの2世も含む統計)がいるそうだ。今でも日本(特に大阪)には、済州島系の在日韓国籍の人たちが多い。こうした理由で 島外住民が多い ということでは、アイルランドや沖縄県と事情が似ている と思った。
 他に、三無という言葉もある(「泥棒、門、乞食」が無い という意味)。

榧子林(ビジャリム)にて⇒
(子連れおすすめ度 ★★★☆☆)
榧子林とは かやの樹の林のこと。

島東北部のやや内陸にある、世界でも稀な
かやの樹の原生林。カヤの実を炒ったものを
売ってたので買ってみた。あまりうまいもの
では無かったが、大昔の人たちには貴重な
栄養源だったらしい。 

林の中で、かやの実生を拾って来た
(春に子どもと庭に蒔く予定)。
  

済州島は、内陸部には手頃な民泊(民宿)やモーテルが無いと聞き、再び海岸線へ戻った。
宿泊施設は島の内陸部より沿岸部に多いらしい。
済州島北岸を走り、金寧を過ぎ、咸徳という辺りまで
来たとき、民泊(民宿)モーテルが沢山ありそうだったので 探して、W50,000でモーテルに宿泊した。

その夜、地元の人お勧めの魚貝料理の店で『刺身のフルコース』を食べた ⇒食い倒れ編(工事中)


(6日目) 朝、咸徳の海水浴場を散策。砂浜の合間に、ところどころ溶岩が固まった黒い岩があり、済州島が
火山島だったことを思い出させる。丁度、ハワイのハワイ島と同じような風景だ(ハワイ島行ったこと無いけど…)。

咸徳(ハンド)の海岸にて

溶岩は昔、こんな海岸線にまで辿り着いて、
冷やされて固まった。

時期的なものか、海水浴場にも巨大クラゲが
沢山打ち上げられていた(どのみち10月では
泳げません。泳ぐなら9月初めまででしょう)。

島の北側にある咸徳から、朝天邑を過ぎ、島の南側へ移動するため内陸部に入る。

途中寄った、
サングムブリ噴火口跡近辺から見た、
雄大な漢拏山(ハルラ山)の眺め
(子連れおすすめ度 ★★★☆☆)

朝鮮半島全体では違うが、大韓民国内
では一番高い山(標高1,950m)。

済州島には、島の中心にそびえる
このハルラ山は別格として、各地に
オルムと呼ばれる小山(寄生火山)も多く
点在し、済州島独特の景観をつくっている。
紅葉の漢拏山⇒
10月後半、ハルラ山は紅葉で色づき始めていた。

この辺り、島の山地付近を南北に縦断する
(何故か“横断”道路と呼ばれているが…)
道路で、標高が高く涼しい。
(観光用)牧場も、この辺りに点在している。
 
その後 島の南側へ抜け出て、レンタカーを返すためにガソリンを満タンにし、中文観光団地地区へ向かった。
このときのレンタカーはガソリン車ではなくLPG車だった。スタンドは専用のところを探さなければならない。
翌日また、別の車を借りたが、その車はガソリン車だった。




中文観光団地(チュンムン クァングァンダンジ)地区の中にある、ロッテホテル済州へ。

この旅行の少し前、仕事でロッテホテル済州関連会社・名古屋事務所の人(韓国人)と知り合いになった。
「済州島へ行く」と言ったら、
「是非泊まって下さい」と言われ、通常1泊US$350〜400するロッテホテル
本館(五つ星ホテル ★★★★★)
オンドル・ルームに、なんとタダで泊まれることになったのだった。
やはり韓国でも中国同様に、
人間関係(コネとも言う)が大切らしい…。

←ロッテホテル済州

中庭はテーマパークのようなつくりになって
いて、韓国ドラマ『オールイン 運命の愛』
ロケ地なんかもあった。
毎晩8時半から、庭園で『ファイアー・ショー』
(子連れおすすめ度 ★★★☆☆)
が催されている。
オンドル部屋⇒

安宿も含め、オンドル部屋は多い
ですが、やはりロッテホテルのは
雰囲気が違ってました。
部屋の前を、滝が流れています。
←子連れ旅にはお勧めの足踏み洗濯

子どもの服はよく汚れますが、日数分の
服を持って行くのも大変。
そこでお勧めなのが、足踏み洗濯。
子どもも喜んで、洗濯を手伝ってくれます。
(オンドル部屋は、乾くのも早いです)



ホテル内のカジノ CASINO 入口⇒
(大人の世界…内部は撮影禁止でした)

子どもを無料で預かってくれる、
キッズルームもあります(〜午後9時)
 

カジノ体験記 〜 70,000ウォン(7,000円)勝ち逃げして来ました(^^)v 〜
 カジノは韓国国内に数カ所あるが、済州島のは特に有名らしい。日本からの団体ツアーも、カジノとゴルフを目的にしているものが多いそうだ。外国人向けで、韓国の一般の人は入れないという(但し、在日韓国人の人たちや海外で永住権を持っているような韓国人の人たちは、入場出来るらしい)。
 普段、パチンコもしない僕たち夫婦だが、緊張しつつもいかにも慣れてるような素振りで入口を通過。左側にスロットマシンが並び、正面にはルーレットの台が数台あり、奥の方にはトランプ(ブラックジャック?)のテーブルが数台あった。けっこう広いスペースで、ゲームセンターとかとは雰囲気が違う。ディーラー(というのか…?)らしき女性が数人立っている。映画でしか見たことのない世界だ。一番奥には飲み物をつくるドリンクバーみたいなところがあり、右奥には両替コーナー(チップを現金に換金するところ)があった(内部は全て撮影禁止のため、写真はありません)。

 人のいるルーレットの台へ近づいた。ルーレットを回す役と、チップを熊手みたいな棒で動かす役のディーラー女性2人。それに、ちょっと怖い、いかにもそっち系のスーツ姿のお兄さん(カジノのスタッフ)が1人立っていた。お兄さんは韓国の人だが、日本語で「いくら両替しますか?」と渋い声で言った。妻はひるむことなく、「最低額はいくらですか?(^o^)」と応えた。「50,000ウォン(5,000円)からです」と言われたので、夫婦で50,000ウォン分だけをその場でチップに換えてもらい、2,500ウォン(250円)のカラフルなチップを20枚もらった。
 ここでルーレットを初めて体験。簡単にルールを説明してもらい、玉が回り出してから1人1枚ずつ(かなりケチくさい賭け方だったらしい…)チップを置いた。初回は2人ともはずれ。だが2回目に、妻は赤の36番の上にチップを置いたのだが、なんと玉は見事にここへ入り、早くも大当たりとなった。250円のチップ1枚が、なんと30倍くらい(7,500円)になって返って来たのだ。

 と、ここで妻は、「じゃ、もう止めようか(^o^)」と平然と言った。怖いお兄さんは「えっ!?(−−;)」と少し動揺したようで、こめかみの辺りがぴくっと動いたように見えた。そして、既に『決定権』が妻の方にあることを見抜いていたお兄さんは、僕には目もくれず、「今後も賭け方次第でもっと儲かる」ということを、妻に一所懸命説明していた。
 が、僕たちは最初から勝ち逃げするつもりだったので、そのまま席を立ったのだった。その後場内をゆっくり歩いて見学。中小企業社長風の日本人男性もいた。両替コーナーで返金してもらうと、50,000ウォン(5,000円)の元手が120,000ウォン(12,000円。内100,000ウォン分は小切手)になって戻って来た。わずか10分で、70,000ウォン(7,000円)の儲けだ。

 カジノは初めての体験だったので面白かった。以前、カジノで有名なモナコに行ったときは、入ろうかとも思ったが 「え!? タキシード…?(−o−;」 という感じで、全然お呼びでないことがわかった。 またラスベガスでは、スロットマシンしかやったことがなかった。済州島のカジノは敷居が低く、普段着でも気軽に入れるしルーレットなど本格的なものもやれる。興味のある人は、是非一度行ってみてください(完)。



【カジノ後日談】
 このHPを見てくれた名古屋のI さんから、モナコのカジノ情報を頂きました。モナコへ行ったとき、別の用事でタキシードとパーティー・ドレスを持参していたI さん夫妻は、モナコ・モンテカルロの有名なグラン・カジノへ入ることが出来たそうです。中はすごい豪華な内装。でも… 賭けられなかったそう…。
 なんでもみんな、1回の掛け金が日本円で20万円(!)ぐらいなんだそうで、やっぱ来てる人は違うなぁ…と思ったそうです。 おーこーきぞく か りっちまん か まふぃあ か…(−o−;。

 よ〜し!そのうちモナコのカジノへ行ったるぞ〜!!(でもその前に 宝くじ当たんないと…(^^;)



(7日目) 朝、ロッテホテル内で再びレンタカーを借り、翌日午後に空港で返せるよう手配した。
子連れのため、帰りの空港まで車があると便利だと思ったからだ。

その後 大佑ランドというところまで行き、キジのしゃぶしゃぶなど、雉肉料理を食べた。⇒食い倒れ編(工事中)

済州島内陸部(ハルラ山の西側)を突っ切り、済州市へ移動。済州市の中でも民泊(ミンバク・民宿)が多い
という、海岸に近いエリアで数件探し、W35,000でオンドル部屋を見つけた。この旅行中(10月後半)、
最後まで宿探しに苦労することは無かった。でもハイシーズンだと、こうはいかないらしい。




耽羅国(たむらこく) の文化
済州島には昔、耽羅(タムナ)という独立国があった。日々、エスニックなもの・文化を追求する我が家としては、
韓国本土とは違う、済州島独特の文化(丁度日本の沖縄のような)を感じるため、済州島のみに1週間滞在した。

 済州島(耽羅国)は昔、新羅から『耽羅』という国号を与えられた。14世紀 高麗時代に高麗朝の支配下に置かれた後も数百年間、独自の行政機関を持ち続けた。李朝時代になりその『特別扱い』が無くなり、牧使(知事のようなもの)が置かれ島の特徴はかなり薄れたが、韓国本土との文化の違いは今も感じられる。但し残念ながら、沖縄ほど本土との文化差は感じられない。明治維新まで一応独立国だった沖縄(琉球王国)とは事情が違うらしい。

三姓穴(サムソンヒョル)
(子連れおすすめ度 ★★★☆☆)

済州島の伝説的な始祖である3人の神、
高乙那、良(梁)乙那、夫乙那 が
現われたところ。
済州道には今でも、この三つの姓の人たち
(高さん、梁さん、夫さん)が多いという。

付属建物で神話をわかりやすいアニメーション
(日本語のも有り)で説明してくれている。
観徳亭(クァンドクジョン)⇒
(子連れおすすめ度 ★★☆☆☆)
15世紀李朝時代に建てられた。

写真左下の石像はご存知トルハルバン
 
 観徳亭には、李朝時代 済州島の行政府だった済州牧官衙(復元)が隣接している。済州牧官衙の中には昔の役所他建物がいくつか並んでいるが、李朝時代の『戸籍』を管理する役所 なんかもあった。仕事柄、韓国の戸籍はよく扱うが、不覚にも日本統治時代につくられた制度 とずっと思い込んでいた。
 また、橘林堂という建物も復元されていた。現在、済州島の一大産業にもなっているミカンは和歌山県から移植されたもので、そう古いことではないそうだが、昔から柑橘類の樹木は多く存在していたらしい。

済州島最大の市場 済州市の東門市場

東門市場(トンムン シジャン)にて
(子連れおすすめ度 ★★★★☆)

←キラキラ光っててなんだ? と思ったら、
太刀魚が売られていた。
韓国ではとてもポピュラーな魚。
他にも豚の顔とか日本には無いものが
沢山有り、子どもたちはけっこう喜んでいた。
うちはよく参鶏湯(サムゲタン)をつくるので、
妻は高麗人参とかを沢山買い込んだ。
 (⇒参鶏湯のつくり方のページ)



(8日目 帰国日) 朝、キンパプの朝食を食べ、車で民泊を出発。海に突き出た竜頭岩を見物した。気のせいか、
済州島はリゾート施設などの多い南部海岸よりも、済州市のある北部海岸の方が、波が荒いような気がする。
太平洋側と日本海側のようだ。その後 「あ、お土産を買ってなかった…」ということで、スーパーマーケットへ行った。

韓国最大級のディスカウントストア
(兼スーパーマーケット)e-martの内部⇒
(子連れおすすめ度 ★★★★☆)
上海などにも進出しているそうだ。でかい。

市場での価格交渉が面倒だったり、
ボラれてるのでは…? と不安な人は、

こういう定価の店を利用するといい。高麗人参
なども買えるが、やはり値段は弱冠高め。
 
←日本国総領事館
空港に近いところにある、日本領事館。

韓国の中でも、済州道のみを管轄している。
それだけ済州島は、日本人、日本との
関わりが多いということか…。
仕事に関係のある資料をもらって来た。

その後空港へ向かい、レンタカーを空港の駐車場で返した。空港内の駐車場には、各レンタカー会社が
ワゴン車を終日駐車していて仮設の事務所にしている。広い駐車場内で、自分のレンタカー会社のワゴンを
探さねばならない。
空港税1人W12,000×4人分(2歳未満の子は免除)を払い、帰りの飛行機に乗った。

と、済州島子連れ旅行レポートは取り合えずおしまいです。済州島はいろいろな面で、子連れ旅行に
向いていると思いました。韓国自体がそうですが、皆 子連れに親切です。例えば飲食店で食べているときも、
店の人が子どもをあやしてくれたり、他のお客さんそっちのけでうちの子にご飯を食べさせてくれたり、ときに
紙オムツまで換えてくれたり…(食堂なのに)。そして他の人たちも皆、にこやかに見ている。 こんな感じです。

ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。自己満足、親バカの部分も多々あるとは思いますが、
個人のホームページなんて所詮はそんなもの。 ご容赦ください<(_ _)>。


名古屋で子連れ旅行愛好家族のためのサークルを主催しています。ご興味のある方、ご覧下さい。

海外“子連れ”個人旅行・バックパッカー旅行愛好者サークル『旅の会 子連れ ごんべえ』


                       

次回の子連れ旅 予告編

 まだ未定ですが…。 最近、トヨタの WISH だかのテレビCMを見て、スペイン・アンダルシアへ無性に行きたくなりました。「娘の一番好きな花を見せたくて、ここまで来た…」とか言うフレーズで、お父さんがひまわり畑の中で娘の写真を撮っている、あのCMです。宇多田ヒカルの曲がバックに流れてる、あれです。
 うちもアンダルシアへ行って、見渡す限りのひまわり畑をバックに、娘の写真を撮りたい…と。
(親バカですみません<(_ _)>。) でも時差がきついのと、費用が莫大になりそうなのとで 妻に却下されました(ToT)。