チュニジア・シチリア子連れ旅
Tunisia & Sicily, Traveling with our son.
APR23 - MAY8, 1999

1歳11ヵ月。2歳になると飛行機代もぐ〜んと上がるし今が好機。
旅人:夫、妻、長男(1歳11ヵ月)の計3人

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All About Japan 子連れ旅行  ←その道のプロがサイトを厳選して掲載する、ご存知All About Japan
 『子連れ旅行』にてご紹介頂きました!

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まずはバックパックの中身を check
紙オムツ2週間分、粉ミルク小1缶、
おしりふき、小児科でもらった薬、座薬、
ご機嫌取り用おもちゃ、折りたたみ式
ベビーカー・・・。
半分以上は子どものものだった。

持参ガイドブック:
Lonely Planet(Tunisia)、地球の歩き方(南イタリア)

名古屋から大韓航空・ソウル経由でスイスのチューリッヒへ。
 当時、Swiss Air でチュニジアへ入るのが一番安かった(名古屋から、の場合です)。名古屋以外からでも、まずはヨーロッパへ飛び、そこからチュニジアへ入るのが一番安かったようだ(ヨーロッパからチュニジアへの便は沢山有るので)。

 順調な滑り出しに思えたが、いきなりトラブル発生。早くも名古屋空港で、買ったばかりの大きなバックパック(○○Bean・けっこう高かった)のショルダーベルトがぶち切れてしまった! 
 ちなみにこのバックパック、紙オムツが半分を占めているため特別重いものを入れている訳でもないのに、その後の中国旅行でも別の個所がぶち切れた。帰国後、メーカーにつき返してお金を全額返してもらったのだった。
↓   ↓   ↓
☆旅のワン・ポイント・アドバイス: バッグなど旅に必須のものが壊れる ということは、絶対に避けなければなりません、特に子連れのときは…。 高校生のときに買って1?年の THE NORTH FACE のデイパックは、いまだ現役。やはり旅行・アウトドア用品は、ファッション性よりも機能性で選びましょうね!

ともあれ、なんとかチューリッヒで靴屋さんを
見つけ、バックパックを修理してもらった。
「お金は要らないよ」 と受け取らなかった
気のいい靴屋のおじさん。

チューリッヒ駅地下街の靴屋 
Fuss-STÜTZEN の皆さん、ダンケダンケ。

チューリッヒで一泊し、翌朝、スイス・エアーでチュニジアの首都チュニスへ飛んだ。約1時間で到着。

         Tunisia   チュニス・カルタゴ国際空港で両替: US$ = 1TD(チュニジア・ディナール)

 バスで約20分、チュニス市街のメインストリート ハビブ・ブルギバ通り Av. Habib Bourguiba で下車。安宿探しを始めた。チュニスは フランス門 Bab Bahr を境に、旧市街(メディナ)と、駅や政府機関のある新市街とに別れている。宿は鉄道の駅にも近く、便利な新市街のサランボー・ホテル Hotel Salammbo に決まった(ツイン1泊 22ディナール)。
観光スポットの集まるチュニスの
旧市街(メディナ Medina)

外敵防止のため、旧市街の中は
複雑に入り組んでいる。
中東のメディナは、どこもよく似ている。

後ろにある塔は、グラン・モスク 
Great Mosque (Jemaa ez Zitouna)

夫の大好物、デーツ DATES (ダット)
なつめやしの実を乾燥させたもので、
中東ではよく食べられている。
チュニジアのフェルト帽 
シェシア
を売るお店の、渋いおじいさん

中年以上の男性の多くがこれを
かぶっていた。おみやげにひとつ
買ってみた(6ディナール)。


翌朝、チュニスから電車で、郊外のシディ・ブ・サイド Sidi Bou Said へ(日帰り)
白とチュニジアン・ブルーで統一された街並はリゾート地のようです。

 チュニス郊外、シディ・ブ・サイド
 Sidi Bou Said, Around Tunis
 
 写真だけ見れば、
 ギリシャの島みたいです。

有名な、カフェ・デ・ナット Cafe des Nuttes
で松の実入りのミント・ティーを飲んだ。
観光客は、皆こうするらしい。

 チュニスへ戻った後、一週間後ぐらいにチュニジアからイタリアへ渡る方法を考えた(帰国の便はイタリア発だったので)。おりしも観光シーズンということで飛行機はなかなか取れず、結局シチリア島のトラパーニ港へ行く、夜行寝台フェリーのチケットを買った。かくして今回の旅の目的地は、「チュニジアとシチリア島」ということに決まったのだった。
 翌朝、チュニスから鉄道で、地中海に面した街スース Sousseへ(チュニス→スース 大人1人片道4.35ディナール×2人。所要約2時間半)。チュニスを出てまもなく、列車の窓の外にはオリーブ畑が見えて来て、その風景がずっと続いていた。他にサボテンや、イチジクも少し見えた。また、木陰の畑のようなのは、ミント畑のようだった。チュニジアを初め北アフリカの人たちは、よくミント・ティーを飲む。

地中海沿岸の街、
スース
Sousseにて。

旧市街はUNESCOの
世界遺産にも登録されている。
チュニジア他、マグレブ地方の料理
クスクスだけではありません。

ここスースは海に面しているため、新鮮な
魚介類が食べれる。
オリーブの生産国のため、オリーブ・ピクルス
はどこでもドサッと出てくる。
ハリッサという、韓国のコチュジャンのような
唐辛子ペーストは、食べる人のお好みで。

我が家はエスニック料理が大好きなんです。
『エスニック料理大好き!』のページはこちらへ

チュニジア伝統の鳥かご
おみやげ屋にはこれの小さいのが
沢山売っている。

スースから鉄道に乗り、南部へ。オリーブ林の風景が、段々とナツメやしの風景に変わっていく。
南部の都市ガベスから乗合タクシー(ルアージュと呼ばれている)に乗り、サハラ砂漠の玄関口、
ドゥーズ Douz
へ向かった(ルアージュ1台・31ディナール)。


ドゥーズの広場にある
  遊牧民 ノマド Nomades の像


そもそもドゥーズは、ベドウィンの市場が
発達して出来た街だそうだ。
ドゥーズの市場にて。
 Souq in Douz

スパイスは袋のままどかっと
置いて、あとは量り売りだ。
 

  ラクダの鞍をつくっている
  おじさんたち。

明日はいよいよ、サハラ砂漠へ。


翌朝、サハラ砂漠でラクダを
2頭チャーター。

Camel Trekking

クサール・ギレンという、本格的な砂漠にも行きたかったが、子どもが小さいので断念した。

 またまた、ルアージュという乗合タクシーでドゥーズからケビリ Kebili という街へ。そこで別のルアージュを拾い、塩の湖 ショット・エル・ジェルドChott el-Jerid を通ってトズールTozeurへ。塩湖は乾期になると、塩分が地表に出て来て一面雪原のようになる。


トズールのメディナ(旧市街)、
ウルド・エル・ハデフ地区 Ouled el Hadef
にあった、日干し煉瓦の家。

後日、建設業者のお客さんにこの写真を見せたら、
とい(雨どい)がこんなにちゃっちいのは日本では
考えられない と話していた。

専門家が見ると、極度に乾燥した地域の家だということが
わかるそうだ。
トズールにて。
水パイプ(シーシャ)

中東のチャイ屋などで、よく見られる。


トズールより山岳オアシス タメルザ渓谷 GORGES DE TAMERZA へ。
この辺りは映画「イングリッシュ・ペイシェント」のロケ地になったそうだ。

山岳オアシス、シェビカ Chebika

下には、ワジと呼ばれる乾季には
涸れてしまう川の跡が見える。

 ミデス Mides のバルコニー・オアシス

 グランド・キャニオンみたいです。


トズールから再びチュニスへ チュニスで1泊。

翌日はチュニスのメディナを観光。おみやげを買い、昼食はチュニジア一の高級レストラン、
ダル・エル・ジェルド Restaurant Dar el Jerd へ。さすがに、クスクスも一味違っていた。
夕方、シチリア行きのフェリーに乗り込むため、チュニス郊外のラ・グレット港 Port La Goulette へ向かった。

シチリア島トラパーニ港Trapani 行きの
夜行寝台フェリーに乗り込んだ。
けっこう大きな船だ(船会社 Tirrenia)。

船はイタリアへ(出稼ぎ?)行く北アフリカの
人たちでごった返していた。

チュニスの湾内は心地よい揺れだったが、
外洋に出てからはかなり揺れた。

 翌朝、フェリーはシチリア島のトラパーニ港に到着。出入国手続きはフェリーの中で。イタリアの入管審査官が僕たちのパスポートをじ〜っと見ている。何かと思ったら、「このパスポートは素晴らしい!偽造が不可能だ!」と感心していたのだった。確かに、今の日本のパスポートは、写真の貼り替えなど難しいだろう。

Ariving at Trapani, Sicily.

          Sicily, Italy 

シチリア島のトラパーニ港から鉄道で、中心都市 パレルモ Palermo(23,000リラ・2人分片道)


パレルモ Palermoの中心部
クアトロ・カンティ Quattro Canti

交通量が多い交差点にあるため、
建物はすすだらけ…。
バッラーロ市場 Piazza Ballaro
積まれていた、トマト

パレルモの名所 プレトリア広場
Piazza Pretoria はこのとき工事中でした。

←(これはこの旅行の8年前に来たときの写真)

シチリア西北部にあるパレルモから、バスで島の内陸部を突っ切り、東部のカターニャ Catania へ向かう。

カターニャから、鉄道でシチリア東部の
リゾート地 タオルミナ Taormina へ。

海、山(エトナ火山)、遺跡がそろった
風光明媚なところだ。
    

フルーツそっくりにかたちづくられたお菓子
Frutti di Martorana はシチリアの名物です。


真ん中の赤い実のオレンジは、
シチリア特産のブラッド・オレンジ
Sanguinaccio


絞った生ジュースはオレンジと葡萄を
ミックスしたような味でした。
テアトロ・グレコ Teatro Greco
(古代ギリシャ劇場跡)

古代、シチリアには多くのギリシャ人植民市が
あったが、皆ローマに滅ぼされたそうだ。

シチリアを離れる日が来た。

海 を 渡 る 列 車
 メッシーナ経由・ローマ行きの 夜行寝台列車に。シチリアは島なので、まずメッシーナまで行ってそこで車両を切り離し、1両ずつフェリーに積み込んで対岸のイタリア本土レジョ・ディ・カラブリアまで運ぶ。(約40分)

@各車両の連結器を切り離す⇒ A車両を1両ずつフェリーの中へ⇒ B列車はきれいに、フェリーの中に収まる。
そして… ⇒ Cフェリーへの車両積み込みが終わると、常連客はすかさず船上のバーへ向かう。

同じ列車だったコジモおじさん(シシリーのラグーサ出身)
船上BARで一杯おごってくれた。



こうして、僕たちを乗せた船(正確に言うと、僕たちを乗せた列車を乗せた船)は シチリアを去っていった。
「さらば シチリア!」
(このとき僕の脳裏には、ゴッドファーザーのテーマが流れていたのだった…) タララ ララララ ラララララ〜

翌朝、夜行列車はローマのテルミニ駅に着いた(3回目のローマ。もう見るところ無し)。
そしてその日の夕方、ローマ空港より帰国した。

 今回の旅のアルバムは、これで取り合えずおしまいです。ここまで見てくださった方、本当にありがとうございました。

 自己満足、親バカの部分もあるとは思いますが、個人のHPなんて所詮はそんなもの(^^;。ご容赦ください。
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(註:子連れ旅行記です。でももっと親バカです。)

名古屋で子連れ旅行愛好家族のためのサークルを主催しています。ご興味のある方、ご覧下さい。

海外“子連れ”個人旅行・バックパッカー旅行愛好者サークル『旅の会 子連れ ごんべえ』




チュニジア・リンク集  Links of Tunisia
チュニジア紀行

古くからチュニジアに関する情報(旅行情報が中心)を発信していたサイト。
チュニジア・メーリングリストもあるので、チュニジアをより詳しく知りたい方はどうぞ。

砂の王国サウジアラビア

チュニジアではないけれど…。アラブ、イスラムについての情報が充実。サウジ
からの留学生ZaidさんのHP。でももうすぐ帰国して、外務省に入るんだって。
そのうちサウジにも行くから、VISAよろしくね v(^^;。


まだまだ 続々追加中です。
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