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中国東北部(吉林省・遼寧省)の旅
【前編】吉林省延吉(延辺朝鮮族自治州)、遼寧省丹東編

旅行の時期:2004年2月後半の8日間 行き先:中国東北部(遼寧省、吉林省)
今回の旅人:M工業グループのH山社長さん、中国人社員のSさん、僕(の計3名)
☆今年の中国東北部は『暖冬』だったようで、下がってもマイナス14℃でした(どこが暖冬だぁ〜!?)
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【プロローグ】 前から行きたかった中国東北部。延吉・丹東は北朝鮮との国境に近い辺境の都市で、今後経済的にも注目されるところです。2004年冬、日頃からお世話になっている うちの事務所のクライアントさん、M工業グループ(韓国人・中国人社員も雇用)のH山社長さんが、ビジネスのついでに連れて行ってくれることになりました。
【第1日目】 出発当日の昼、名古屋空港に集合。H山社長さん(在日コリアン)、中国人社員のSさん(中国国籍)、それに僕(日本国籍)と、たった3人だが出すパスポートはみんなバラバラだ。CZ(中国南方航空)機に搭乗し、大連へ。大連で乗り継ぎ、瀋陽へ。この乗り継ぎ飛行機は中国北方航空機だったが、ここは南方航空の傘下に入った会社だ(中国でも航空会社の再編が進んでいる)。瀋陽から更に飛行機を乗り継ぎ、吉林省延吉空港へ到着したのは夜だった。
 2月である。空港の外へ出ると、マイナス10℃はいっている寒さで、顔が痛い。同行の中国籍社員・Sさんの家族が出迎えてくれ、延吉市内へ。ホテル(江沢民も泊まった4つ星・白山大廈)にチェックインした後、Sさんの家族と夕食へ出掛けた。中国延辺朝鮮族自治州出身の朝鮮族であるSさんの家族は、中国語も朝鮮語も話す完全バイリンガル。延吉は55%が朝鮮族住民で、街中の店や役所の看板も、ハングルと中国語の両方で書かれている。
 Sさんの家族が案内してくれたのは、朝鮮料理のレストラン。日本や韓国で食べる韓国料理とは少し違っていて、これもまた とても美味しかった。今回、延吉では、名物の羊串、冷麺など、食べなければならないものがいっぱいある。その日は着いたばかりだし、遅いのですぐにホテルへ戻り眠った。


【第2日目】 朝起きて、僕一人延吉の街へ散歩に出た。外はものすごく寒い。ホテルの近くにあった庭園風の池も、完全に凍っていた。氷の彫刻 みたいのもあった。近くに流れる布爾哈通河という大きな川も凍っていて、水もところどころ干上がっているせいか、橋があるのに川底を渡って、近道で反対側へ渡っている住民もいた。僕も渡ってみたが、寒冷地用のブーツなのに滑ってうまく歩けない。でも住民は、普通の革靴とかで器用に凍った川の上を歩いていた。凍った川の上で小さなテントを張り、氷に穴を開けて何か釣っている人たちもいた。ワカサギ釣りなら行って混ぜてもらおうかと思ったが、地元の人の話だと「釣っているのはフナ」ということだったので止めておいた。

 散歩後、ホテルへ戻って3人で朝食を食べ、専用車で北朝鮮国境のある街、図們(tu men)へ向かった。高速道路を使い、40分くらいで到着。図們江という川があり、川の向こうは北朝鮮だ。国境の橋を、国境線のある途中まで渡ってみた。
(右写真⇒)
 国境線は、橋(川)の真ん中よりやや中国寄りにずれている。これは国境線確定後に、川の流れが移動してしまったからだそうだ。橋の入口の門の上に登ると備え付けの望遠鏡があり、覗くと北朝鮮の街が見え、目立つように金 日成(キムイルソン)の大きな肖像画がかかっている。

背景の山は、北朝鮮です。

 橋の周りのお土産屋には、予想通りキムイルソン・バッヂとかが沢山売られていた。この辺は韓国からの観光客が多いらしく、買い物は韓国ウォンでも出来るようだ。

 図們大橋から一定の距離までは、左写真のように川沿いの土地が利用されている。川沿いの低い土地は、仕切られて菜園として使われていたり、お年寄りたちがゲートボールを楽しんでいたりした。シーズンではないが観光客もいたりして、北朝鮮国境とは思えないのどかな風景だった。同じ北朝鮮国境でも、韓国の板門店(板門店の写真はここ)のようなピリピリとした雰囲気は、全く無い。
 その後 延吉市内へ戻り、日本からビジネスで来ていた在日コリアン系商工会の理事長・李社長、延吉出身で京都にも留学していたことのある女性・李さんと合流。延吉の不動産業者・韓さんの案内で、建設途中のホテルやゴルフ場を見学しに行った。脱北者で有名になった延吉だが、観光地としても着々と整備されつつある。

 昼食は、延辺地方の名物、羊串料理を食べに連れて行ってもらった。⇒
 メチャメチャ美味しい!東京や名古屋でも食べられないことはないが、ここでは串1本10円だし、味もやはり本場のは違う。羊肉も新鮮だし、香辛料も本場のもの。差があるのは当然だ。

 昼食後、僕は一人で延吉の街へ散歩に出た。今回、飛行機・ホテル・車代等全て一緒に行った社長がもってくれたが、街を一人でぶらぶらしたいという誘惑には勝てない。社長は太っ腹だし、僕のそういう性格も理解してくれているので問題無い。

 延辺朝鮮族自治州の州都である延吉市は、前述のとおり朝鮮語・中国語の両方が公用語になっていて、街中の看板や標識も両方で書かれている。お店も、韓国・朝鮮文化を感じさせるものが多く、歩いていて楽しい(←左写真は、東北三省・特に延辺の三大産品として有名な、鹿の角、高麗人参、熊の肝などの漢方を扱うお店)。

 また、韓国企業・韓国製品の看板も目立つ。携帯電話を持つ人が多いのは、今や中国全土どこでもそうだが、やはりSAMSUNが目立つ。ビリヤード、PC房なども多く、中国の大都市にはよくあるマクドナルドが無い代わりに、「やはり」というかロッテリアのハンバーガー・ショップがあった。どうもまだ、「中国に来た」という実感が湧かない。 

 夜、再び待ち合わせをし、みんなで柳都飯店という有名な朝鮮料理のレストランへ行った。その後カラオケへ。カラオケはすごい。延吉でも、中国語、韓国語の他 日本語、英語の曲もある。


【第3日目】 朝、また一人で散歩に出ようとしたが、同行の中国人社員Sさんに「先生、またどっかに消えちゃうんですかぁ…?(−o−;」と言われたので、おとなしくホテルで朝食を食べる。僕が行方不明になると、ガイド役のSさんが困るらしい。
 朝食後、李社長も加わり、みんなで市中心部の『地下商城』へ出掛けた。中国の北の方は寒いため、市場・マーケットの類が地下にあることが多い。
 他の店舗でもそうだが、市場の入口も厚手の「ビニールのびらびら」(右の店舗の写真の入口部分を参照⇒。日本だとレストラン裏の大型冷凍倉庫の入口とかでしか見れない、ところてんのおばけみたいなあれ)がぶら下がっていて、冷気が中に入り込まないようにしてある。本当に寒いのだ。
 市場にはいろんなものが売られていた。様々な漢方薬、肉屋にはこの地方の名物である羊肉や狗肉なども、“そのままのかたち”で売られていた。羊串料理で出て来たスパイスも沢山売られていた。最近結婚した友人のための漢方強壮薬(子づくり三点セット)やトウモロコシ麺などを買い、外へ出た。 市場は屋外までも続いている。外はマイナス10℃くらいいっているようで、店頭の蟹が冷凍蟹になっていたが、元々冷凍だったのか外で冷凍になったのかはわからない。
 この他、電機製品が売られているところなども見学した。様々な家電製品が売られていて、大型液晶テレビなどは日本よりも高いのに、けっこう売れているらしい。
 昼食は、6人で狗肉館へ行った。補身湯(ポシンタン)他の狗肉料理(左写真)を食べたのは、このときが初めて。

 意外にさっぱりしていて美味しかったが、下茹でしてあるのは匂いが強い肉だからだそうだ。匂い消しなのか、香菜(シャンツァイ。パクチーのこと)やヨモギなど、香りの強い薬味も沢山使っていた。

◇狗肉料理についてもっと知りたい方は、こちら(狗肉美食中心)をどうぞ!
 その後 夕方に延吉空港へ向かい、延吉でお世話になった人たちとお別れの挨拶をし、瀋陽行きの飛行機に乗り込んだ。今回、長白山(朝鮮半島側からは『白頭山』)行きも検討したものの、真冬のため頂上までは行けないし、日程の都合で割愛した。H山社長は、もっと季節がいいときに登りに来るという。
 飛行機は約1時間で、夜9時に遼寧省瀋陽に到着。グロリア・プラザ・ホテル(鎧莱大酒店)に宿泊した。



【第4日目】 連日夜遅くまでのハード・スケジュールで、ちょっと疲れが出て来た。朝、若いはずの僕とSさんが寝ぼけながらホテルのレストランへ下りていくと、もうH山社長はスーツを着て朝食を取っていた。どんなに夜遅くても朝は関係無く起きれるらしい(毎晩あんなに遅いのに…)。やはり、一代で年商数十億の企業グループを築き上げた社長だ。基礎体力が違う。
 その後 李社長も加わり、瀋陽(沈陽)から専用車で遼寧省丹東市へ向かった。沈丹高速(普通車なら片道75元)で3時間半ぐらい。車中、中国でもビジネスをしていて いろんなことを知っている李社長から、面白い話を沢山聞いた。今や中国は、北はハルピンから南は海南島まで、主だった都市は皆 高速道路で繋がっているそうだ。遼寧省南部の高速道路沿いは意外にも山が多い。高速道路は道も良く快適だったが、下りた後 市内までの20分がすごいガタガタ道だった。「何故舗装しないのか?」とか思ったが、ビル工事でもなんでも、途中で止めてしまっていることが中国では多いそうだ。

 昼過ぎ。丹東(dan dong)に到着。人口240万(朝鮮族40%、満州族32%など)。黄海に面した都市で、鴨緑江(長白山に源流がある大きな川)を挟んで対岸は、北朝鮮の新義州市(シンイジュ)

 朝鮮料理店で昼食をとり(右写真)、鴨緑江目の前のホテル(中聯大酒店 ZHONGLIAN HOTEL)にチェックインした後、鴨緑江大橋へ行った。

←中国と北朝鮮を結ぶ、二本の鴨緑江大橋にて。

 二本のうち一本の橋(鴨緑江端橋)は、朝鮮戦争時にアメリカ軍の空爆を受け、途中で分断されてしまっており、そのままの状態で保存されている。

 朝鮮半島で韓国・アメリカ軍と北朝鮮・中国(義勇)軍が戦争していた当時の写真が展示されてたりするが、意外にも付近は若者のデート・スポットになってるらしく、『ゴーストのテーマ』とかロマンチックなアメリカの曲が流れていた。 

 付近からは遊覧船が沢山出ていて、そのひとつに乗ってみた。

 川の、けっこう北朝鮮に近い方まで船は近づいていく。対岸に、溶接をしている光が見えた。北朝鮮の新義州市(右写真)は工業都市だそうだ。
 橋の上に展示されていた昔の写真を見ると、かつては北朝鮮・新義州側の方が中国側より栄えていたのがわかる。今はもちろん、完全に逆転されているが…。

 夕方、社長たちがサウナへ行っている間、また一人で街へ散歩に出た。
 丹東市内を歩いていて、高層ホテル街に囲まれた下町の一角を発見した(左写真)。いかにももうじき地上げされそうな一角だ。丹東は歩いていても中国風のものの方が多く、延吉に比べれば大分「中国の都市」という感じがする。

 丹東駅前の広場には、毛沢東の大きな像があった。国境の街、朝鮮戦争所縁の地であることも関係してるのだろうか…。

 2時間ほど散歩してホテルへ戻り 社長たちと合流。丹東市でホテルや貿易会社などを経営する実業家・黄さんのご招待を受けた(右写真⇒)。
 宴会は他に2人の李社長(韓国・朝鮮は同姓の方が多いので困ります)、全さん、方さんなど この地域で活躍する貿易業他の実業家の人たち(全部で11人くらい)で、やがて中国の接待には付きものの 『白酒(パイチュー)』攻勢 が始まった。
 テーブルは中華式の回転テーブルだったのだが、パイチューを半年分ぐらい飲んだあたりから、テーブルだけでなく 天井まで回り出した(こんな感じ ⇒(@_@)。後の方は、よく覚えていない。



【第5日目】 昨日の晩、李社長が「白酒(パイチュー)はあとに残らないから大丈夫だよ…」と言っていたが、全然そんなことは無かった。朝、這い出るようにベッドを出てホテルのレストランへ行くと、 H山社長は何事も無かったかのようにスーツを着て朝食を食べていた。やはり普通の人ではない。

 その後、朝鮮戦争に関する展示をしている抗美援朝記念館へ向かった。朝鮮戦争に参加した中国義勇軍を記念してつくられた建物で、丹東市内の高台にある。毛沢東の息子が朝鮮戦争時に戦死したことなど、いろいろなことを知った。

 ←抗美援朝記念館内の、朝鮮戦争当時の兵器

 見学後、昼は丹東市内の別のホテルのレストランで会食。豪華な内装の部屋だった(右写真⇒)。僕たちと、金さん、方さん、姜さん、李さんなど、ビジネスマンの人たち9人が集まっての会食で、中国語、韓国語、日本語が飛び交う会食だった。相変わらず、H山社長の人脈はすごい(何故自分がここにいるのかわからない…)。

 と、昼だがまたまた、「カンペー!(乾杯)」が始まった。
 旅が始まって以来、毎日のように 昼・夜と ごちそうを食べ、いろんな人と出会い、パイチューを酌み交わしたのだった。

この後、専用車で遼寧省の省都・瀋陽へ向かった。(前編はここまで)



この旅で学んだ教訓:ビジネスは、辺境にこそ生まれる。



 【後編】瀋陽・海城・大連編へ続く
 (遼寧省の省都・瀋陽市、僕の父の生まれ故郷・遼寧省海城市(旧満州国海城)、大連市への旅です)
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